- リンクを取得
- ×
- メール
- 他のアプリ
- リンクを取得
- ×
- メール
- 他のアプリ
昨年のアジアン映画祭の感想を書き終えていないのに、もう1年経ってしまいました 。コロナ禍(オミクロン)、花粉症、確定申告の3つに苦しめられているところですが、今年もこの映画祭が始まることで、ああもう3月なんだなぁと思いながら過ごしています。
鑑賞1本目は、インド映画『シャンカルのお話(Shankar's Fairies)』でした。
1962年、ラクナウ(Lucknow)という町が舞台であることが知らされます。「町」と書きましたが、ウッタル・プラデーシュ州の州都だそう。
映画祭のパンフレットに小さな女の子の写真が載っていたので、シャンカルというのはその子のことかと思っていたら、実はオジサンの名前。女の子が暮らす家の使用人の男性のことでした。
大豪邸というわけではないけれど、広い庭のある立派な家で、使用人も複数います。シャンカルは主人一家の身の回りの世話で忙しく働きつつ、他の使用人に仕事を割り振る立場でもある様子。主人は警察署長で、自宅兼オフィスのようになっていて、部下らしき制服姿の男たちも何人か、使用人のごとく働いているように見えました(門番をしたり、パーティの準備をしたり…)。
物語は、この家の小学生の娘と、使用人シャンカルの交流を中心に進みます。上流階級として、恵まれた環境で屈託なく育っている女の子は、シャンカルに「お話して」とねだるのが大好き。シャンカルも、どんな時でも厭わずに、「妖精」のお話を女の子に聞かせます。原題の"Shankar's Fairies"はおそらくここから。
いっぽう、一家の夫妻と、シャンカルを始めとする使用人たちの関係性ははっきりと「格差」を感じるもので、それは夫妻が冷たいとか性格が悪いというよりも、この時代の階級差、身分差、貧富の差だったのかなと想像します。
監督はインタビューで、自身の母親および母方の祖父母の記憶が本作の元になっていること、それと同時に、アーティストとして、子ども、関係性、不平等の理解(children and relationship, understanding inequality)といったアイデアを表現したかったと語っています。
説明的なセリフや出来事は登場しませんが、ムスリムの礼拝の声、ラジオから流れるネルー首相の演説、小学校の授業で取り上げられるガンジーの言葉から、地域性や時代性が汲み取れます。ラクナウはインド内でも他地域に比べてムスリムの比率が高く、イスラム建築の遺構が多く残っているとか。また、1962年は、インドと中国との間に国境紛争(中印国境紛争)が起きた年。1947年に英国領より独立したインドは、ガンジーの後継者と言われたネルー首相のもと50年代は非同盟中立政策を進めたものの、62年は国境紛争、65年にはカシミール帰属問題を巡るパキスタンとの戦争が続きます。おとぎ話に目を輝かせる女の子の、ただただ幸せな記憶の最後が、もしかしたら62年だったのかもしれません。
『シャンカルのお話』
2021年/インド
監督:Irfana MAJUMDAR
監督のインタビュー動画はこちら
メイキング動画はこちら