第24回釜山国際映画祭(8)Pebble

中国の若手監督によるドキュメンタリーフィルム『Pebble』を見ました。

同日の朝に見たインドネシア映画『Aladin』同様、こちらもチケット予約時に空席が残っていて選んだものでした。事前にいろいろ調べて変に期待値が上がったり下がったりするのが嫌で、中国映画であることも、ドキュメンタリーであることも、モノクロであることも、予備知識は一切ありませんでした。

Pebble(ペブル)というのは、監督が作品の中で追い続ける男性のニックネーム。英和辞書を開くと、小石、丸石という意味があり、困ったやつというスラングとしても使われます。

ペブルは、進行性でいずれ死に至る希少疾患(rare disease)を患っており、生まれ故郷を飛び出して北京でホームレスのような暮らしを送っています。体にはマヒのような症状が見られ、身なりもボロボロなため、20代と言われればそうかもしれないし、40代に見えなくもない。

車が行き交う道路をふらふら歩いたり、ゴミを漁ったり。教会の礼拝堂に座っている場面もありましたが、信仰心が厚いのか、単にシェルターのような場所として居るのか、はっきり読み取ることができません。

健康な人が安易に想像する「か弱い病人」像ではなく、おそらく怒りや苛立ちや諦めのような感情も含めて、彼は彼の思うままに、あるがままに日々を過ごし、監督はその姿を映像に収めているように思いました。

手持ちカメラで撮影された映像は揺れが多く、白っぽい背景に白い字幕がかぶるシーンが何度もあり、73分という比較的短い作品ながら最後までついていくのには気力が要りました(笑)。



Q&Aセッションに登壇された監督はとても若く見え、自身で英語で受け答えしつつも、時おり”Let me think about it…”と言葉を探しながら対応する姿に誠実さを感じました。医科大学出身(天津医科大学)で映画制作については独学、卒業後いくつかの職業を転々とし、本作は小さなカメラで22日間で撮影したそうです。

「この映画で伝えたかったことは?」という会場からの問いに、「何かを伝えたいというよりも、声なき人の声を届けたい」と答えた言葉が印象に残りました。

Pebble
2019
China
Director:QIAO Quentin

◎参考
Pebble – 西宁FIRST青年电影展